双極性障害解決法:面白おかしく私の失敗談8つを話しちゃいます!①

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私の失敗談を聞きたくて質問してきてくれた女性 ★双極性障害-体験談
私の失敗談を聞きたくて質問してきてくれた女性

 

失敗から得られることは多い。

いや、むしろ私自身失敗はしていない。

 

失敗しているのは、周りの人であり、社会であり、会社なのだか・・・

分かっていなかったので当時は恨んで、罪悪感にさいなまれた。

 

でも今は、成長の糧となった事を実感して感謝しているのです。

 

微笑む外国人男性の横顔

微笑む外国人男性の横顔

 

こんにちわ。

双極性障害でフルタイムで働いている吉川です。

 

今回は、久しぶりに暗い話を明るく書きます。

私の中での「BIG失敗」を紹介するとともに、でもでも良かったよね。

と、思える成長の過程や考え方を書きたいと思います。

 

私ほど「BIG失敗」を連発している人は、まぁいないでしょう。

かなりのレベルの高さですから。

 

これですら、笑い話にできるのですから私も成長しました。

では、他人の不幸は蜜の味と思ってみてみてください。

 

励みになっていただけたら嬉しいです!

 

 

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15年前のパワハラと言う言葉が無い時代、上司に内部告発で・・・

 

今となっては笑える話で、滅茶苦茶パワハラを受けていたのです。

先輩が失くしたものは私が無くしたものとして上司に告げ口したり、

絶対に不可能な時間的制約のある仕事をやらされたり。

 

月曜日に会社に行って、家に帰るのは金曜日でした。

残業は月に200時間。

 

このセクションにはアシスタントは私一人で、先輩は5人いて、サンドバック状態でした。

 

終電で帰りたいのに、先輩が帰れないから帰るなとも言われ会社に泊まったことも普通。

 

インフルエンザで休みたいのに、休むと仕事が滞ると休ませてもらえず、仕事が終わったらインフルエンザで休まなかった私を非難する先輩・・・

 

これを上司の上司に内部告発と言うか、相談をしたら、首を切られました。

 

「今から三文判買って来い」

 

怖い会社ですよね。

 

でも、強力な忍耐力と体力と胆力がつきました。

実は人生には無駄はなかったようです。

 

今は、その経験から「かなり恵まれている環境」だと感じています。

それでも、整備された企業よりは十分ブラックですがね。

 

ブラックホール

ブラックホール

13年前うつ病が一般的でない時、人事に休職をのばしてもらおうとしたとき・・・

 

ある次の会社で、うつ病が重篤化しました。

 

それは、上記の会社を辞めた理由がうつ病でそれが治る前に転職してしまったため、

環境に体と精神が追い付かずに悪化してしまったのです。

 

1年弱ほどはいつくばって会社に行きましたが、新規事業の部署に移動になり崩れ落ちました。

 

私の当時のメンタルでは新規事業はまだ不可能でした。

 

で、診断書を書いてもらい3か月の休職。

ここまでは良かったです。

 

治療を続け3か月で全快の50%くらいまで回復しました。

そこで、3か月たったので会社の人事部に呼ばれ復職できるかを聞かれました。

 

50%ですから、またすぐに悪くなる。

 

そう思った私は、医師にお願いしてさらに3か月の休職診断書を書いてもらいました。

これも人事部に受理されました。

よって計6か月の休職です。

 

6か月で80%くらい回復しました。

 

よし復職できるかもしれない!やるぞ!

 

会社の人事部にその気持ちを伝えてみました。

そしたら、驚くべき答えが返ってきました。

 

吉川君の席は無いよ。

 

一撃で80%まで回復したメンタルが0%になりました。

 

まだ時代がついてきていなかったのですね。

 

私は、一旦は復職するも、やる気がなく、ひっそり転職活動をしました。

その転職先も実家に絞って行っていました。

この会社は時間稼ぎで、親元に戻るために良い会社を探すために利用せざるを得ませんでした。

 

でもでも、この経験から休職に関する抵抗はなくなりました。

もちろん、今の時代は精神障害者への手当・待遇が大幅に改善されました。

よって、余裕で同じ状況を乗り越えられます。

 

そして、会社なんて粋に感じて働く必要はなく、自分が生きていく中での道具にすぎず、

それは会社側も同じく思っているのだと思えました。

 

会社の為に自分の人生を無駄にするのは100%意味の無いことです。

と気づけたよい経験です。

 

拳を上げる女性

拳を上げる女性

11年前会社の重労働で椎間板ヘルニアになり治療しているとリーマンショック

 

地元に帰りました。

前回の経験を活かし、この会社も腰かけとして利用しました。

 

なぜなら、地元の就職活動は東京からでは正確な情報を得ることができないからです。

この新しい職場で働きながら情報収集を絶え間なく行っていました。

 

この職場ではやる気はなく、1年以内にやめると最初から決めていましたし、気は楽です。

 

でも7か月のころ椎間板ヘルニアになってしまいました。

工場なので、20kg~30kgのものを日常運びまくります。

 

背中にしびれと腰に激痛で仕事になりませんでした。

正式に休職を1か月取りました。

 

なんと!

労災は勘弁してくれと言われたのです!

まぁ、もともと裏切るつもりだったので傷病休暇手当もらえただけでOK。

この間に転職活動は成功しましたしね!

 

ただし・・・

なんと椎間板ヘルニア治って会社の人事に言ったら

 

リーマンショックで厳しいので、入社1年未満はリストラとなりました。

 

オーイエス。

ありがとうございました。

退職願出す必要がなくなりました。

 

この時すでに、アクシデントに対する心の持ちようはかなり向上していたようです。

 

高卒(が悪いわけではないが)だけの職場で、私だけ大卒だったので、「学士」とあだ名をつけられ、仕事ができないときは「頭以外は使い物にならないな」と言われていたのでスッキリ挨拶もせず去ることができました。

 

リストラなので、送別会は当たり前にありませんでした。

退職のあいさつも当たり前にありませんでした。

 

 

10年前、まだパワハラと言う言葉ができていないときの労働基準監督署の対応

 

次の会社に転職しました。

ここもひどかった。

 

私はひどい会社を引き寄せてしまう傾向にあります。

 

これはのちに解決するのですが・・・・

 

この会社は10人程度の社員数でした。

仕事は社会的には自慢できる内容でした。

 

が、暴力が猛烈、パワハラ・モラハラが空気のような地獄のブラック企業でした。

でも我慢して働いていました。

 

暴力が毎日何回もあって、残念ながら私はまたも休職しました。

 

この時は悔しいので復讐もかねて、労働基準監督署に行きました。

もちろん録音データも持っていきました。

 

が・・・時代はまだパワハラ・モラハラを認識していませんでした。

 

労働基準監督署の担当の人も、「あなたも歩み寄ってはいかが?」

との事。ふざけるなと思いました。

 

じゃってことで、社長を自宅に呼びつけて告げ口しました。

でも、私が歩み寄ることを勧めてきました。

 

頭来ました。

 

復職してダメ上司たちを遥かに凌ぐ力をつけようと、暴力等の中、死ぬほど働きました。

結局、私がエースになりました。

 

そして、社長は不倫で解雇になり、上司はパワハラで地方へ左遷になりました。

これは偶然。

 

ぶっちゃけ、ざまーみろでした。

 

ただ、気づいたのです。

 

私は、やられていただけではなく、戦う心を身に着けていたのです。

ただでは負けないように強くなっているのです。

 

そしてそれを実行して、実際に仕事上エースになったのです。

 

これが私の長い仕事との戦いで、人生を大きく好転させ、美しい人生に変えた瞬間だったのです。

 

⇒つづく

面白おかしく私の失敗談8つを話しちゃいます!②

 

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